賞というのは、たくさん応募したことはあるものの、
当たったことはほとんどなく、いつもツルツルすべっています。
日ごろは、研究者たるもの、自分の研究は自分で評価しなければいけない、
人様にほめてもらうようではいけない、と自分にいい聞かせているのですが、
いざ、褒めて頂けると、すごくうれしかったです。ありがとうございます。
土は、宇宙だとか、恐竜だとか、人類だとか、もしかしたらゴリラだとか、
どうしても地味なのですが、遠慮なく土のことを書いてください、
と言ってくださったことが心の支えになりました。
残念なことは、フルカラーにした割に、案外地味だな、というのがありますが、
被写体の「土」が悪いのではなく、私の地味さが反映されているので、
対象は問題ない、とうことをご理解いただければと思います。
また、僕は、御用学者にだけはならん、と思って京都に来て、
これが京大だ、というのも、あまり感じられなくて、
その時に古本屋で見つけたのが、
中尾佐助の『栽培植物と農耕の起源』という素晴らしい本なんです。
これに出会って、これの「土」みたいなことをやってやろう、と思いました。
ざっくり言うと、世界の農耕文化というのは、大きく分けて4種類くらいにできる。
僕の本というのは、世界に12種類の土があって、
それに人間が縛られるがゆえに、その12種類に対応したような、
文化が成立している、ちょっと違う話なんですけど、
もともとこれにすごい憧れがあって、やってきました。
そういう意味では、中尾佐助さんも書いているんですけど、
「カルチャー」っていうのは、もともと土を耕すことに語源がある、
ということで、今回、ご縁があったのかな、と感じております。
京都大学に京大がなかったというと、学長に申し訳ないのですが、
ポストドクター時代2年間に、
八瀬の比叡山口でテニスをやる機会がありまして、
大学生がいるようなきゃぴきゃぴしたテニスサークルではなくて、
名誉教授しかいない、
たまにコンビが160才を超えるという、
テニスに翻弄されるというテニス人生の始まりを経験したんですけど、
そこで初めて、いろんな分野の人が、のんびりテニスでもしながら、
自分の好きな研究を好き勝手話している、という環境があって、
これが僕が思っていた京都大学だ、と。
京都大学は、百万遍にはなくて、ここにあるんじゃないか、と。
結局僕が思ったのは、大学に学問を求めてはだめで、
自分の半径2メートルくらいに、自分で学問をつくる気持ちが大事なんだということを、
そこで教わりました。それから、僕は自分の好きな事を、本当に自分が大切だな、
と思うことを研究しようと。
そういうことに対して、ぼくが何かを成し遂げた、というよりかは、
がんばれよ、と言ってもらえたのがこの賞かな、と謙虚に考えております。
あと、この本、ダジャレがひどい、と言っていましたが、
これでも、一番初めに母に読ませ、これはひどい、と。
半分くらいに減っておりますので、そのあたりご容赦いただきたいと思います。
その母が、一番大好きな、本当にこの人の文章はすばらしい、と言っているのが、
三浦しをんさんなんですね。先ほど、サインもしっかり頂きました。
最後に、テニスで打ちのめされた時に言われたのは、
「フェデラーは一日ではならない」あの言葉はいまでもすごく耳に響いていて、
研究もそうだとおもうので、ひとつひとつ積み重ねて参りたいと思っております。