10月10日(月祝)第10回河合隼雄物語賞・学芸賞記念講演会が、

京都の会場とオンラインとで開催されました。

財団主催のイベントは2018年の記念講演会以来、実に4年ぶりです。

 

 

 

ご存知のように、昨年他界した河合雅雄(1924-2021)は、

世界的な霊長類学者で児童文学者。

草山万兎のペンネームで多くの児童文学作品を書きました。

 

河合隼雄は、河合雅雄の4歳下の弟です。

本講演登壇の河合透さんは雅雄の長男、

河合俊雄代表理事は隼雄の長男ですので、

二人は従兄弟の関係にあたります。

司会の河合成雄評議員(隼雄三男)も従弟ということになります。

 

まず、河合雅雄の長男・河合透さんの講演『父と子、異なる人生、重ねる思い』。

 

透さんは、石油会社の社員として石油開発に40年関わられ、

中東と北欧に計15年駐在された経歴をお持ちです。

透さんご自身の

「石油を求めて、灼熱の砂漠から厳寒のフィヨルドへ」の体験談は、

「ホンマですか?!」と言いたくなるようなびっくりするエピソードばかり。

その話だけでももっと聞きたいお話でした。

会社員というより、

地球のエネルギー資源というお宝を求めて世界中を旅する冒険家でした。

子どもの頃から「無茶しよる」透さんでしたが、

父・雅雄からの評価は他の人とは異なり、

「お前は安心なヤツや、何しても心配いらんなぁ」。

 

それは、雅雄自身の「無茶しよる」性質とも重なります。

 

「新しいことをやるには、探検精神がなければならない」というモットー、

無茶も経験則から感覚的に察知していたこと、

好奇心、想像力と発想力など、

父・雅雄の存在のユニークさと大きさを改めて知るとともに、

父と息子の深いつながりを感じるご講演でした。

 

続いて第2部は、河合俊雄代表理事による『雅雄・隼雄:対極の出会いと反転の人生』

 

雅雄と隼雄の幼少期から振り返り、

その対極なあり方を紹介。

兄・雅雄と照らし合わせることで、

河合隼雄の、今まで気が付かなかったその個性が浮かび上がってくるようでした。

 

   

『泣き虫ハァちゃん』『河合隼雄自伝 未来への記憶』

に描かれる子ども時代を紹介しながら、

筋肉系、アウトドア系、スーパー健康、

情熱家で非合理主義的な子ども時代の雅雄、

一方で、神経系、インドア派、本ばかり読む不健康な子であり、

冷静で合理主義的な隼雄など、

その対照的な兄弟の特徴が見えてきます。

そして、この二人の対極的な関係は

「影」というユング心理学の概念より、

お互いが「影」のような存在であったこと、

それが長い人生の中でその特徴が入れ替わっていくことの面白さがある

と俊雄代表理事は指摘しました。

 

  

何よりも驚いたのは、

影との対決を示す夢として『ユング心理学入門』(岩波現代文庫,p89-91)、

『影の現象学』(講談社学術文庫p278)で

河合隼雄が取り上げた「25歳の男性の夢」が、

実は隼雄自身の夢であり、

夢の中の「兄」が雅雄のことであったというお話です。

 

ぜひ本書を手にとって、

隼雄にとって内的にも重要であった兄・雅雄の存在を改めて確かめてみてはいかがでしょうか?

「雅雄の姿を借りつつ、隼雄は影との対話を続けた。

だからこそ二人の立場と生き方が二転三転し、

より豊かなものになっていったと思われる」

 

俊雄代表理事が伯父と父との特別な関係とその意味についての考えを示しました。

 

第3部は、透さんと俊雄代表理事の対談です。

透さんはよく父・雅雄から隼雄叔父についての

自慢話を聞かされていたそうで、

6人の伯父の中でも隼雄叔父は特にミステリアスだったとのこと。

 

一方、俊雄代表理事は、

隼雄から子ども時代や兄弟の話をほとんど聞いたことがなく、

晩年の著作『泣き虫ハァちゃん』を読んで初めて知る話が多かったのだそうです。

そんなところも対照的でした。

 

二人の対談では、「物語」や「自然」との関わりに対する

雅雄と隼雄の違いや思いに話しが及びました。

 

雅雄は、科学で説明できない世界を物語で表現すること、

学問の世界と子どもたちをつなぐことを考えていたのではないかと透さん。

雅雄の晩年94歳で書いた遺稿『ドエクル探検隊』(福音館書店)は、

雅雄自身の思い出や、学者・児童文学作家の集大成であったと振り返りました。

 

一方で隼雄は「物語」や児童文学についてその思想の中で深めていったけれど、

積極的に自ら書くことはしませんでした。

透さんは「要職を退いた後ゆっくり書くつもりだったのではないか」

と叔父の思いを想像しました。

俊雄代表理事は、隼雄が書き手としてのプロではないこと、

そして自分のことを書きたがらなかったことから、

自身で物語を書くことはしなかったことを振り返りました。

 

隼雄の児童文学作品は、

遺作となった『泣き虫ハァちゃん』のみであり、

しかも10歳まで書いている途中で倒れてしまいました。

 

さらに、自然について。

雅雄は自然の深みに入っていった一方、

隼雄もまた自然の人だったが、

思想としての自然を通じて、

もっと広い自然に関わろうとしたのではないか。

 

この講演と対談を通じて、

河合隼雄の豊かな丹波篠山の自然に接する子ども時代、

風土と兄弟に恵まれたことが

その人生や思想にいかに大きな影響を及ぼしたことかを、

改めて知る機会となりました。

 

そのほかにも、透さんが10歳まで神様が見えた話、

どちらの家でも麻雀や将棋をそれはそれは真面目に遊んだ思い出、

会場にいらした工藤直子さんのお二人との出会いや思いなど、

盛りだくさんの講演会となりました。

知性とユーモアの河合家のDNAを堪能する会となりました。

 

今回もたくさんの皆様にご来場・ご視聴いただきまして、ありがとうございました。

 

*音声や画面の乱れる場面もあり、誠に申し訳ございませんでした。

オンラインならびに現地で参加の皆様には大変ご迷惑をおかけしましたこと、

改めまして、ここに深くお詫び申し上げます。