谷川俊太郎さんが、京都にきてくださった。
いつものようにTシャツで。
2015年10月12日、秋の京都はいつも美しい。
河合隼雄の数少ない、親しい友人であった谷川さんが
今日は思い出を語ってくれる。
話は河合隼雄との出会いから始まった。
谷川さん、いちばんはじめがいつだったのか、詳しくは忘れてしまったらしい。
けれど、アメリカで勉強して、スイスで勉強して、エライ資格をもった人がくるんだ、ということで
緊張していたら、「村人」のような人がきた、と思ったそうだ。
これは「とうてい街の人ではない」と。
それにしたって、親しみやすさは谷川さんも同じだ。
谷川俊太郎といえば、知らない人はいないのではないか、
谷川俊太郎の詩に触れたことのない人などいないのではないか
というほどの偉大な詩人であるのにもかかわらず、
きっとこの人は誰に対してもフラットなんだろうと思わせる。
谷川さんは河合隼雄を「無私」と評したが、それは、谷川さんだってきっと同じなのだ。
インタビューの中で、谷川さんと河合隼雄が、どこがどうとは言えないけれど、
同じ部分が大きいと、何度もそんな話になった。
折々に挟まれる谷川さんの朗読
河合隼雄の文化功労者顕彰の祝賀会で読まれた詩、「かわいのいわい」(「文藝別冊 河合隼雄」)
「みみをすます」(『みみをすます』福音館書店)
河合隼雄が解釈した詩、「おはなし」、「夕景」(二人の共著『魂にメスはいらない』講談社+α文庫)
「ひらがな」(『おやすみ神たち』ナナロク社)
「かなしみ」(『二十億光年の孤独』集英社文庫/『自選 谷川俊太郎詩集 』岩波文庫)
会場に来られなかった方にも、ぜひ手にとって読んでいただきたいものばかりだ。
会場からの質問に谷川さんがこたえる。
あれ?これは河合隼雄への質問じゃないのかな、と思えた質問にも
ごく自然に谷川さんが答えていた。
とても的確に。
二人が共に過ごした時間はどんなものだったのか。
それは単に過ぎ去った過去ではないのだろう。
この日、会場では谷川さんと河合隼雄の本を販売した。
きっと、谷川さんのお話をきいたら、みんな何か持って帰りたくなるんじゃないかな、と
そう思った。
たくさんの人が本を買いに並んでくれた。
年配の男性が、リュックに本をぱんぱんに詰めて、少年のようにニコニコと帰って行った。
今は本が売れない時代ではなかったか?
谷川さんがサインをしてくれた本は、文字通り、「あっ!」という間に売れてしまった。
谷川さんが有名人だからサインが欲しかったのではないだろう。
谷川さんから直に何かを受け取りたい、そんな気持ちに誰もがなってしまったにちがいない。
この会の最後の朗読
「来てくれる」(『悼む詩』東洋出版/ 河合隼雄『泣き虫ハァちゃん』新潮文庫) (一部引用)
“河合隼雄さんに”
私が本当に疲れて
生きることに疲れきって
空からも木からも人からも
眼を逸らすとき
あなたが来てくれる
いつもと同じ何食わぬ顔で
駄洒落をポケットに隠して
・・・
谷川さんは、ちょっとした相づちでも、
「うん」「うんうん」と、
必ずマイクを通して発声された。
どんな小さなひと言だって、やっぱり対話を支えている。
谷川さんが詩について語ったことばが印象的だった。
詩は、道ばたに生えている雑草のようであればいい
花が咲いたらきれいだと思うでしょう、
そこに美しいことばが存在しているな、
詩は、そういうものであればよいのだ、と。
谷川さんは「詩」、河合隼雄は「物語」の人だ。
しかし、ことばの、にんげんの、こころの美しさを
ただそっと見つめ、その美しさを愛でることに誰よりも長けている二人なのだ、とそう思わされた。