こんばんは、いとうみくと申します。
この度は思いもよらなかった受賞でとても嬉しく思っております。
ありがとうございました。
私が書いているのは、児童文学です。
児童文学というと、子ども向けのお話でしょ?
という認識の方が多いのではないかと思います。
それは間違っていません。
絵本、絵童話、幼年童話をはじめとした児童文学というのは、
子どもの成長・発達に応じた見せ方をしよう、
大人の本とは異なるアプローチで本が作られる。
分かち書き、ルビをふる、文字の大きさを工夫する、挿絵を多用するなどです。
でもそれらは見せ方の問題で、児童文学とはこういうものだという定義ではない。
児童文学とはどういうものかは、正直私にもわからないところがある。
児童書を書いている書き手の仲間で集まって、
児童書とはどういうものかと話すことがあります。
そこで話しているのは、
希望をまっすぐに語れることではないか、
生きることを肯定できることではないか、
私たちはそれを大事にしていこうと思っています。
この作品にもその想いが根底にあります。
今、小川さんから詳しくステキな講評をいただいて嬉しく思っています。
父親を亡くした雨音という中学2年生の女の子が、
一人になった時に叔母さんのところにやっかいになるのではなく、
私の居場所を守るために生きたいと思う。
実際に中学2年の女の子が一人で生きることを社会は許さないし、
社会が少女を守るためにはそれは実際には無理なこと。
しかし彼女が大人に言われるままに生きていくのが苦しい。
その中で彼女が何を考え、何をどうしていいのか、
どう今日を、未来を生きていくのか、
選んでいくのかを考えていくのを、
私は知りたくて伴走しながら書いたのがこの作品です。
児童文学作家の後藤竜二さんが生前おっしゃっていたことに、
「現実を超えろ」と言う言葉があります。
世の中、悲惨な事件、事故、人災、天災、いろんなことが起きています。
大人であっても絶望したくなる。
子どもも変わらず、厳しい現実に直面している。
その中で絶望している子どもの少なくない。
それが現実なんだとも私は思っている。
ただ、物語を書くときに、今の厳しい状況を書くことが目的ではない。
ハッピーエンドの夢物語(があっても悪くないけれど)
を書くということではないんじゃないかと私自身は思う。
現代に生きる子どもたちから目を逸らさずに、
現実を超えていく物語なんだと思っていいます。
どうできるのかは手探り状態でわからないことも多い。
しかし今までもこれからも大事にしたいのは、
登場人物が生きることを諦めない物語、
それを読んだ読者がほんのちょっとでもかまわないので
顔を上に向けて生きていける物語を書いていきたいし書いていこうと思っています。
今日はありがとうございました。心より感謝申し上げます。