祇園祭の前祭と後祭に挟まれた7月19日は河合隼雄の命日です。
2007年に亡くなったので、もう15年になります。
今年の第10回河合隼雄学芸賞は、
数学に関する作品である森田真生さんの
『計算する生命』に授与されました。
河合隼雄は最初数学科を卒業し、数学の教師を勤めています。
小川洋子さんとの対談(『生きるとは、自分の物語をつくること』)で、
数に対する特別な思いが数学をやっている者にはあることを吐露しています。
そこではじめての数学に関する授賞作にちなんで、
少し大胆ではあるかもしれませんが、
河合隼雄なら自分の命日と享年の数字について
どのような連想をするのかを考えてみましょう。
題して、「いのちは計算する」。
河合隼雄は2007年7月19日に79歳で亡くなりました。
以前ならたいていの学校で一学期の終業式のあった、
区切りのよい数である7月20日に一日足りず、
80歳という区切りのよい年齢に1歳足りません。
突然に倒れて亡くなった河合隼雄について、
多くの人が無念な気持ちを抱いたように、
まだ未来があったのにもかかわらず、
ゴールを見ずになくなったということを示しているかもしれません。
しかしこの数にも違う意味があるのかもしれません。
西洋の昔話で結婚によるハッピーエンドが多く、
それが人格統合を象徴しているのに対して、
日本人の夢で異性像が弱く、
昔話で異類との結婚が成就しないことが多いことの独自性を
どう心理学的に捉えたらよいかというのは、
河合隼雄のテーマでした。
一見すると失敗とも考えられるのに対して、
結婚が成就せずに女性が去って行くときの
「あはれ」の感情と美しさに着目して、
「完成」(perfect)した美に対して、
欠けていることを含む「完全」(complete)美というのが生じているのでは、
というのが河合隼雄の出した答えでした(『夢・神話・物語と日本人』)。
河合隼雄の人生も、
「完成」はしなかったけれども、
欠けていることを含みつつも、
だからこそ「完全」なものになったのかもしれません。
最初の著作である『ユング心理学入門』を
600枚で書くように編集者に頼まれたのに、
事前に宣言して599枚でおさめたというエピソードにも
同じニュアンスがあるのかもしれません。