今日7月19日は河合隼雄の命日です。

2007年に亡くなったので、今年で17回忌を迎えることになります。

 

 

今の大学1年生が当時はまだ2歳だったということからわかるように、

亡くなってからかなりの年月が経ってしまいました。

 

 

それにもかかわらず、

いくつもの河合隼雄の著作が毎年のように版を重ねてまた新たな読者をつかみ、

多くの人のこころを支え続けているように思えるのは非常にうれしいことです。

 

そのこともあってか、

この17回忌に合わせるかのように、

『別冊太陽 河合隼雄』(平凡社)が7月3日に発行されました。

 

 

文章だけでなくて、

写真を大切にするこの雑誌の特徴もあって、

家族などから提供された過去の写真だけではなくて、

新たな写真撮影が行われました。

今は河合隼雄財団事務所になっている

京都の旧河合隼雄事務所の面接室、

箱庭の部屋、書庫、奈良の自宅の面接室と書斎、

保存されていた生原稿、さらにはお庭、

丹波篠山市にある実家や少年時代を過ごしたまわりの自然なども撮影されました。

 

そのなかで、

河合隼雄のスイス留学時代の足跡をたどって撮影する

というアイデアもあったそうですが、

残念ながら実現しなかったので、

この17回忌を記念する記事で少し補足したいと思います。

 

現在のチューリッヒ・ユング研究所は、

キュスナハト湖畔のユング自宅近くに移転したのですが、

河合隼雄留学当時は、

チューリッヒのGemeindestrasseにありました。

 

 

写真は、今は「心理学クラブ」のものになっている

旧研究所の建物です。

看板に”Psychologischer Cub, gegründet durch C.G.Jung”

(心理学クラブ、C.G.Jungによる設立)というのが読み取れます。

 

 

この建物のなかで河合隼雄が様々な講義やセミナーを受けただけではなくて、

『別冊太陽』でも取り上げられた最終試験における有名な対決をしたと思うと

感慨深いものがあります。

 

 

河合隼雄が家族とともに住んでいて、

1時間に1本の2両編成の電車でチューリッヒに通っていた

ディールスドルフという近郊の村も、

今ではS-Bahnという郊外電車が30分に1本走り、

チューリッヒ中央駅までわずか23分しかかからないベッドタウンのようになって、

すっかり変わってしまいました。

 

 

今年は17回忌を記念して、

11月23日に東京で「河合隼雄と日本文化」(仮)という題で、

内田由紀子・中沢新一学芸賞選考委員を中心にして

シンポジウムも計画しています。

河合隼雄の探求から、また新たな展開が見られればと思います。