3月9日に、河合隼雄のすぐ上の兄、河合迪雄が99歳で亡くなりました。

最後は延命治療をせずに、丹波篠山市の自宅で家族に囲まれて静かに息を引き取ったそうです。

これで男7人兄弟、成人してからは6人兄弟全員がこの世を去ってしまいました。

 

 

四男の迪雄のすぐ上の兄が動物学者となった雅雄で、

隼雄と三人で子どものころはよく遊んだようです。

その様子は、『森の学校』として映画化もされた

河合雅雄の『少年動物誌』(福音館書店)や、

河合隼雄の『泣き虫ハァちゃん』(新潮文庫)で

よくうかがい知ることができます。

 

 

ガキ大将で武闘派の雅雄、理屈っぽく批判的な隼雄という強烈な兄弟にはさまれて、

さぞかし大変だったのではないかと想像されます。

その様子は、『別冊太陽 河合隼雄』のなかの迪雄氏のインタビュー

「皮肉をユーモアに変えて」でうかがい知ることができます。

 

 

その父親は歯科医だったわけですが、

東京医科歯科大学で学んで、倉敷中央病院で歯科医としての研修を積んだ後、

大学に研究者として戻る話もあったそうです。

 

しかしお葬式での長男の河合岳雄氏の挨拶にもあったように、

自分はそうではなくて開業歯科医として務めるとして、

長年地域の医療に貢献してきました。

また合唱団に所属して、その活動も熱心に行っていました。

 

3月13日付けの神戸新聞での訃報のニュースでは、

指揮者の佐渡裕氏と並ぶ迪雄氏の写真が掲載されていました。

https://kobe-np.co.jp/news/tanba/202503/0018744228.shtml

 

河合隼雄の『泣き虫ハァちゃん』の第十話「作文はお得意」では、

実際の逸話に基づく、迪雄氏らしき兄の登場する印象的な話があります。

 

 

ハァちゃん(隼雄)は作文の時間に何も思いつかなくて、

戦地にいる従兄の博兄ちゃんのことに関して、

おとなに喜ばれるようなことを考えて書いたところ、

担任にほめられ、また兄弟たちの前でも父親にほめられて非常に困惑します。

 

しかし日曜日に兄弟4人で廊下のぞうきん掛けをするときに、

ミト兄(迪雄)は急にまじめな顔になって、

「戦地におられる博兄ちゃんのことを思い、頑張って雑巾がけをしよう!」

と大声で叫びます。

 

四人はこれを聞くなり、ひっくり返って笑いこけた。

あの作文が「つくりもの」であり、それに感心されたお父さんは、

ちょっとどうかしておられたのだ。

それにしても、あんなのを皆の前で読まれて、

ハァちゃんかなんかったやろ。笑い飛ばしてしまえ。

これらすべての思いをこめてミト兄ちゃんは、

ここでうまくジョークを飛ばしてくれたのだ。

昨晩の兄たちの神妙な顔が嘘のようだ。

 

兄弟四人は口々に叫びながら、走りにながら笑いまくっていた。

「あっ、みんなわかってくれてたんや」とハァちゃんはゲラゲラ笑いながらも、

じーんとくるものを感じていた。「兄弟ちゅうもんは、ええもんや」。

 叫んだり、笑ったりしながらハァちゃんは雑巾がけを続けたが、

熱い涙はいくらでも流れ続けるのだった。

 

 

合唱団の人たちの歌声とともに出棺し、送り出されていった迪雄氏。

あの世では兄弟たちと再会し、笑い合っているのでしょうか。