河合俊雄代表理事が、先日、中国マカオで行われた国際会議
The Seventh International Conference of Analytical Psychology and Chinese Culture
:Confronting Collective Trauma: Archetype, Culture and Healing
で行った講演についてご紹介します。
講演のタイトルは
” Deep Pscyhological Confrontation with the Collective Trauma of Japanese Militalism and 2nd World War”
(「日本における集合的トラウマ-第二次世界大戦と軍国主義との深い心理学的な対決」)。
国際会議最終日である10月23日(金)に講演が行われました。
中国では『泣き虫ハァちゃん』が大手新聞社の賞を受賞するなど
河合隼雄の本はとてもよく読まれているようです。
少年だった河合隼雄が
当時日本で中心的な力を持っていた軍国主義的な考え方になじめなかったことは
いくつかの著作でも触れられています。
本講演では『河合隼雄自伝-未来への記憶』(新潮文庫)でも描かれているエピソードが紹介されました。
それは、
人間が猿から進化したものだと知った隼雄少年が
それなら「アマテラスオオミカミは一番猿に近いのか」という疑問を
兄・雅雄にぶつけ、
雅雄は深刻な顔で、それは人には言ってはいけないと忠告した
というものです。
今聞くと、いかにもまっすぐなこの問いは微笑ましくも感じられますが、
当時それをきいた兄・雅雄の気持ちを思うと身震いする思いになります。
死への恐怖や、軍国主義への疑問を抱えながら、
隼雄少年は父や兄たちに守られて
大人になっていきますが、戦争が心にもたらした闇は大きく、
戦争が終わったからと言って、それは簡単に消えるものではなかったと思われます。
奇しくも河合隼雄は、その後、アマテラスをはじめ、
日本の神々、日本神話について研究することになり、
また、兄・雅雄は霊長類の研究、サル学を通して
人間存在とその暴力性について探求することになりました。
2人がそれぞれに生涯をかけて研究し、学術的にも高い評価を受けたこの仕事は
実のところ、彼らが、そして日本人が戦争で集合的に経験したトラウマと対決するという仕事だったのかもしれません。
作家・村上春樹さんがエルサレム賞を受賞された際の講演「壁と卵」でも、
村上さんがなぜ小説を書くのかという話のなかで、
教師でありお坊さんでもあった彼のお父さんが
戦争で亡くなった全ての人に祈っていた記憶に触れられていました。
また、京都大学総長で河合隼雄学芸賞選考委員でもある山極寿一氏は
河合雅雄も所属した京都大学理学部の伝統の中でゴリラを研究し、
人のもつ暴力性と家族の意味について探求し続けています。
今年で戦後70年、直接戦争を体験した世代ではなくても
何らかの形で潜在的に、集合的に経験している戦争の影。
人類が根源的にもつ暴力性とそれによる傷。
それに向き合い、取り組むことは私たちが長い年月をかけて、
世代を超えて引き継いでいく仕事なのかもしれません。