宗教的なもの、とは、我々に何をもたらしてくれるのでしょうか。

個人的な信仰のいかんにかかわらず、日本に暮らす限り、仏教的世界観は

私たちの生き方に深く影響をもたらしているように思えます。

 

このたび、愛知学院大学禅研究所開所50周年を記念して刊行された

『仏教の知恵 禅の世界』(愛知学院大学禅研究所編、大法輪閣)に河合隼雄の講演が

再掲されました。

 

仏教の知恵 禅の世界

 

「開かれたアイデンティティー ー仏教の役割を求めてー」と題された河合隼雄の講演記録は

写真右の本の冒頭に掲載されています。

 

「禅は全然知りません」「悪はしてますけど、禅はだめです」などという

河合隼雄お得意のだじゃれに始まるこの講演では

個や自我がそれほど強くない日本文化と、無我を説く仏教の発想について触れながら

「明晰性を失わないで、意識のレベルをずっと下げていく」という

仏教と臨床心理学の共通性について述べられます。

 

そして、グローバリゼーションが進む現代において、

西洋風に合わせていくのではなくて、西洋と東洋がお互いに開かれ、

和魂で洋才を磨く、

洋才で和魂を磨く、というようにアイデンティティーを開かれたものとして

育てていくことの重要性について論じています。

 

2015銀杏秋

帯に「新しい「知」のありようを提示する」とあるように、

この本自体が、仏教や禅について述べるにとどまらない、開かれたものになっています。

 

それとは気づかずに我々に深く浸透している禅的なもの、仏教的なものについて

考えてみたくなりました。