宗教的なもの、とは、我々に何をもたらしてくれるのでしょうか。
個人的な信仰のいかんにかかわらず、日本に暮らす限り、仏教的世界観は
私たちの生き方に深く影響をもたらしているように思えます。
このたび、愛知学院大学禅研究所開所50周年を記念して刊行された
『仏教の知恵 禅の世界』(愛知学院大学禅研究所編、大法輪閣)に河合隼雄の講演が
再掲されました。
「開かれたアイデンティティー ー仏教の役割を求めてー」と題された河合隼雄の講演記録は
写真右の本の冒頭に掲載されています。
「禅は全然知りません」「悪はしてますけど、禅はだめです」などという
河合隼雄お得意のだじゃれに始まるこの講演では
個や自我がそれほど強くない日本文化と、無我を説く仏教の発想について触れながら
「明晰性を失わないで、意識のレベルをずっと下げていく」という
仏教と臨床心理学の共通性について述べられます。
そして、グローバリゼーションが進む現代において、
西洋風に合わせていくのではなくて、西洋と東洋がお互いに開かれ、
和魂で洋才を磨く、
洋才で和魂を磨く、というようにアイデンティティーを開かれたものとして
育てていくことの重要性について論じています。
帯に「新しい「知」のありようを提示する」とあるように、
この本自体が、仏教や禅について述べるにとどまらない、開かれたものになっています。
それとは気づかずに我々に深く浸透している禅的なもの、仏教的なものについて
考えてみたくなりました。