11月3日(日祝)に第12回河合隼雄物語賞・学芸賞記念講演会が、

大阪の会場とオンラインとで開催されました。

 

 

昨年11月26日に他界した河合幹雄(河合隼雄次男)を偲んで企画された追悼シンポジウム

「社会の無意識と法」は、基調講演に大澤真幸さん(社会学者・第3回河合隼雄学芸賞受賞)、

その後の討論には、山極壽一さん(人類学者・河合隼雄学芸賞選考委員)もお迎えし、

河合俊雄代表理事とで社会の無意識について多彩な議論が行われました。

司会は河合成雄評議員です。

 

 

まず河合俊雄代表理事より、河合幹雄についての紹介と思い出が話されました。

 

 

河合隼雄の次男であった河合幹雄には、父と同様に不思議なことがよく起こり、

風貌も性格も兄弟の中で一番幹雄が父親と似ていたからこそ、

父とは同じ領域を選ばなかったのではないかと振り返ります。

 

京都大学では理学部生物学科から法社会学に進み、

社会の闇に関心が向かっていきました。

その研究に加え、被害者の権利運動、

桐蔭横浜大学で大学経営への参画など実際の社会の活動に尽力し多忙な中、

これまで構想してきた考えを本にまとめたい思いがありながらも、

それを世に出すことができなかったことはとても残念なことでした。

 

それでも、2021年から23年までWEBRONZAで連載した論考をまとめた

『社会的事件の法社会学』(遠見書房)がこの度発刊。

 

 

大澤真幸さんのすばらしい「まえがき」だけでも読む価値があるが、

「社会の無意識を探究」しつづけた幹雄の考えの一端を示すことができたのではないか。

今日の大澤真幸さんの基調講演では、

幹雄が語り尽くし得なかったその向こう側について伺い、

一緒に考えることができたら、と挨拶を締めくくりました。

 

続いて、大澤真幸さんによる基調講演

「社会の無意識 ―河合幹雄の法社会学から日本社会を読み解く」です。

河合幹雄の仕事の社会的な意義に触れ、

それを受けて大澤さんの思索について丁寧にじっくりとお話をいただきました。

 

多くの時事問題へのコメント・評論はその時は意味をもっても

時間がたつと価値が下がるのが普通だが、

河合幹雄の『社会的事件の法社会学』はまったくそうではなく、

そこから読み取れることには広がりがあるものとなっていて、

これはまさに「プロの仕事」だということ。

目からうろこが次々と落ちていく論考であることは間違いない。

その一つには、「社会の無意識」を探究していったことにあると指摘します。

つまり、河合隼雄と違う領域に向かったようでありながら、

意図せずに父・河合隼雄の仕事―無意識の探究-を別の形で展開していったといいます。

 

たとえば、河合幹雄は、日本の凶悪犯罪・少年犯罪は、統計上は激減しているにも関わらず、

ほとんどの日本人は、凶悪犯罪や少年犯罪が増えていると信じている、

これはなぜか?という疑問から、社会の無意識について探究していきました。

 

 

日本の裁判では有罪確率は99.9%を超えている。

諸外国に比べて異常なほど高いこの数字が示すものは、

日本の警察・検察が非常に優秀だから、ではなく、

「日本人は、直接的な権力(「悪人」を速やかに摘発し、

物理的な暴力を使って「われわれ」の共同体からその「悪人」を排除する権力)に対して、

無意識のうちに絶大に(絶大すぎるほどに)信頼を置いている」ことの反映であると指摘しました。

 

近代法によって構築された法治国家としての社会システム(裁判制度や三権分立)を受け入れながら、

日本社会の「無意識」的な権力への過剰な期待との大きなギャップの存在の指摘を受けて、

大澤さんは、「X-P構造」という、日本社会のあらゆる場や組織に偏在する特徴が抽出されることを示し、

様々な例を上げて、河合幹雄の指摘を掘り下げていきます。

 

日本社会においては、人びとに直接的に実力を行使する権力Pに対して過度の期待をし、

それが機能するためには、もしPが誤ったとき、彼方にいるはずのイノセントな中心Xが、

Pの行いを是正し得るという幻想を持っている。その幻想によって機能が維持されているのだと。

日本の歴史における天皇制の持続性、水戸黄門などを例に挙げ、

「立派な誰かが何とかしてくれるだろう」という幻想(無意識)が、

この非合理で不思議な構造を維持するのに加担していることが示され、

誰もが心当たりがあり、痛い指摘の数々に問題の深さを改めて考えさせられました。

 

今日の議論の出発点は、河合幹雄の時評におけるインプリケーションの深さ、

それぞれの時事に対するコメントももちろんのこと、

その背景として一般的にわれわれの社会がどうなっているのかその考えのヒントになっており、

大澤さんの講演を通じて、河合幹雄の問題意識を深く考える時間となりました。

 

後半は、山極壽一さん、大澤真幸さん、河合俊雄代表理事の3人の討論です。

 

生物学から社会学へ向かうことになった河合幹雄は、

サルや霊長類の社会との対比を通じて、

人間の目に見えない社会に関心を深めていったのではと山極さんは考えます。

そしてさらに犯罪という、文化と切っても切り離せない問題に挑戦していったと。

 

 

 

昨今の日本社会で問題になる様々な犯罪には、

個人の善悪の判断とは別に、個人の行為が「社会の無意識」に

動かされているようにみえるものが多く存在しているようです。

 

大澤さんの講演で「社会の無意識」の例としてあげられた

イスラエルのメイア首相の発言のエピソード同様、日本人は無神論者だと言いながら、

初詣に行くという行為の中に、社会の無意識が現れていることや、

大澤さんが示したX-P構造にも、河合隼雄が日本社会の構造に見出した

中空構造が現れていると俊雄代表理事が指摘します。

 

何度も繰り返される贈収賄事件があってもなぜ政治家を罰しないのか。

幹雄が繰り返し主張したのは、われわれ国民の側の主体性が問われると。

上(政権、権力側)がちゃんと正してくれるのを期待するのではなく、

国民の持つ選挙という手段で主体性を発揮しないといけないと。

ちょうど1週間前に終わったばかりの衆議院選挙は、

これまでと異なるもの(国民側の主体性)が出てきたのかもしれないという見方が示されました。

 

 

X-P構造については、山極さんは、日本学術会議の問題にみられたように、

現場が多数決や選挙で決めたことを、従来形式的な任命を行ってきたX(政府)側が、

ここ10年様相が変わって来て、実際に権力を行使するようになってきたと指摘。

日本人の深層構造では権力の中枢は権力を行使しないようにみえるものだったが

だんだん権力をあらわにしはじめたのが最近の現象だと、

昨今のX-P構造の変化について言及しました。

 

大澤さんも、XがXのままでなく、特定値を入れ始めた。

なのでX-P構造のシステムには、社会の無意識を利用される脆弱性がある。

今後どうなっていくべきか。

河合俊雄代表理事は、だからこそ幹雄も言ったように、

国民の主体性が必要で、権力が期待通りにはしてくれない時には

しっかりと対立していく必要があるのではないか。

心理学的な主体性の問題については、河合隼雄もすでにそれを考えていて、

それは日本神話における流されたヒルコの問題として指摘していた(『神話と日本人の心』岩波現代文庫など)。

男の太陽神と考えられるヒルコは、日本のパンテオンに受け入れられなかった、

つまり日本社会はある種の父性原理、意思決定を排除してしまった。

それをどうするかが日本の未来の課題なのではないかと。

 

 

他にも、河合幹雄が『安全神話の崩壊のパラドックス』(岩波書店 2004)

でも取り上げていたコミュニティの問題、犯罪者と社会との関係、

犯罪を生み出す土壌として、あるいは、犯罪者の更生や第二の人生を生きるコミュニティが、

どう変容してきているのかも議論されました。

 

以前の心理療法では、イエを出ていくことで個人になっていく(主体的になっていく)プロセスがあったが、

イエやコミュニティの喪失と個人の主体性の確立の困難さが問題となっていることなど、

コミュニティと社会、個人との関連にも及んでいきました。

そしてネット空間に新しく生まれてきた(そしてそれはしばしば犯罪に引き込まれていく)

コミュニティをどうとらえていくべきかなど、われわれに大きな宿題が提示されました。

 

そのほかにも、人間の社会関係を維持できる人数の認知的数に関する仮説「ダンバー数」や、

三者構造について、サルや霊長類、人間の違い、臨床心理学の領域におけるエディプス構造など、

それぞれの立場からの議論も大変興味深く展開していきました。

 

最後にオンラインで参加されていた、

岩宮恵子さん(河合隼雄物語賞選考委員)、

土井隆義さん(犯罪社会学者)にもご感想をいただきました。

岩宮さんからは、幹雄さんとのさまざまな共通性、

ことに「想像上のきょうだい・双子」の興味深いエピソードについて触れられました。

土井さんからは、幹雄さんと共通した問題意識(社会の無意識、文化や時代によってどう変わって来たか)

を共有して考えてきた。『安全神話の崩壊のパラドックス』から、

なぜ人々は統計的事実とは異なる無意識的認識を持つのかについて、

社会の無意識やそれが人間以外のものともつながっているといった観点からとらえ直すと、

社会学の枠組みも広がって行って興味深いのではないかとコメントをいただきました。

 

今日のシンポジウムを通じて、河合幹雄の探究した「社会の無意識」という視点が、

それぞれの専門領域を通じて、われわれが生きるこの「社会」との関係性の見え方が変わり、

それがわれわれの行為(無意識は行為に表れる)の変容につながっていくきっかけになれば幸いです。

 

今回もたくさんの皆様にご来場・ご視聴いただきまして、ありがとうございました。