さわやかな梅雨の晴れ間、京都は祇園祭で賑わいつつあり、少し交通渋滞がありましたが、無事、

2019年7月12日(金)第七回河合隼雄物語賞・学芸賞授賞式・授賞パーティーが開催されました。

 

 

 

今年の物語賞は、三浦しをんさんの「ののはな通信」(KADOKAWA)でした。

 

 

正賞の日の丸盆と副賞の授与の後、

選考委員を代表して、選考会の模様にもすこし触れつつ、

後藤正治さんから、選評を頂きました。

(以下、後藤さんの選評です。)

 

ののとはな、という女子学生が、高校で出会って友人になります。いわゆる同性愛の関係になるのですが、青春の終わりと共に別れがやってくる。その後、それぞれの人生を歩んでいく様が描かれています。

 

この小説で、特に述べておきたいことは、ひとつの新しい「書簡」とういう方法が採用されておりまして、往復書簡、手紙で物語が構成されています。いまはスマホ時代、ツイッタ―時代で、いい手紙というものを読むことが少なくなりました。この本を読んでいて、私は久しぶりに、いい手紙だな、と思いました。かつて『錦繡』(宮本輝:著)という、手紙を使った名作があったのを思い出しました。

 

前半の思春期の女学生の心理については、もうおじさん世代には遠いものになってしまって、そんなもんかいな、と少し距離感をもって読んでいたのですが、途中から、大学生になり、社会人になり、歳月を経て再会していくあたりから、非常に、面白くなってきて、(実物をみせて)こんなに本に付箋をはるほど、惹き込まれた小説です。

 

いい小説とはなにか、いい物語とはなにか。

色んな答えがあると思うんですけど、私はただ単純に、「あたかも我がことの様に思える一行がある小説・物語」が、私にとっていい物語や小説なんだと、ここ数年思っております。そういう意味で、三浦さんの小説は、とてもいい一行が、しばしば出てきて、今日皆様にご披露したいところが二つ三つありまして、ちょっと読んでみます。

 

ののさんがはなさんに宛てた手紙の一文

「得られなかったものをいつまでも欲しがるのではなく、

新しくだれかに与える人間でありたい。悦子さんがそうだったように。」

(この一文に対してのコメントは、こちらからどうぞ。)

 

ののさんとはなさんが、それぞれ、歳月を経て、人生を選択していきます。

はなさんは、実はなにか、心の空洞を抱えておられて、思い切った選択といいましょうか、旦那さんと別れて、難民キャンプのボランティアをする、とかアッと驚く選択をします。

その辺のはなさんの心境をこう書いています。

 

しかし、真に社会を変革し、ひとの心を打ってきたのは、実ははるか昔から、常識はずれな言動だったのではないかとも思う。古い考えかたや規範に縛られていた人々の魂を解放し、「自由」の意味を更新しつづけてきたのは、「突拍子もない」と評されるような行いをするひとだったのではないでしょうか。」

(この一文に対してのコメントは、こちらからどうぞ。)

 

ののさん、はなさん、それぞれ自分で人生を切り開いていく、そういうところも大変共感を持てる作品でした。

 

この本のキーワードに、小川さんが「記憶」という言葉を挙げておられて、私もその通りだと思います。

「記憶」についてこんな風に書いている一行があります。

 

「うつくしいのは思い出だけ、記憶だけではないかと、このごろ思います。ひとが手にすることのできる最もうつくしいものは、宝石でもお花でもなく、記憶なのです。」

 

この二人の育成に比べたら、私はだいぶ齢を重ねたじいさんなのですが、この年になると、結局よきものは、記憶かな、というようなことを思いながら、この一行を読んでみました。

もし他者に、よき記憶を残すことができるなら、やはりこの世に生まれて生きてきてよかったな、という風に思われるのかなとも思いました。

ともあれ、さまざまな思いに駆られ、久しぶりに琴線に触れるといいましょうか、読んでよかったな、と思う本でした。

そんな本を書かれた三浦さんに感謝しますとともに、よき本を物語賞に選んで、大変良かったと思いました。

              

                 ◇  ◇  ◇

 

続いて、三浦しをんさんのスピーチです。

 

選考委員の先生方への謝辞に続き、

「先ほど後藤さんが、「ののさん」「はなさん」と実在する人みたいに言っていただいて、

書いてよかったな、と思いました。

この作品を書いている最中は、本を書くのも本にするのにも、本当にもうだめだと思っていたのですが、

編集担当者さんの励ましにより、本にしてくださったおかげで、

すばらしい賞をいただけて、本当に感謝しております。」

 

と述べられました。

 

 

(「ののはな通信」を書き終えて今日までのエピソードについてはこちらから。)

 

「いつ読んでも楽しくて、なにか励まされるような、これでいいんだろうな、

というような新しい発想をいつまでももたらしてくださる、

河合隼雄さんのご著書にすごく感謝してますし、

私も、ちょっとでも読んで下さった方に、

そのように思ってもらえる小説を書いていけたらな、と思っております。」

 

と語って頂きました。

 

                 ◇  ◇  ◇

 

今年の学芸賞は、藤原一至さんの「土 地球最後のナゾ 100億人を養う土壌を求めて」(光文社)でした。

 

選考員を代表して鷲田清一さんの選評です。

 

栄えある学芸賞の授賞式がある7月12日の朝一番の新聞を開くと、

JAXA(ジャクサ)のはやぶさ2が、小惑星リュウグウの「石」と「砂」を採取した

という記事がドカーンと載っていて、「土」の話が全然でてこず、

ほんとうに気の毒な話だな、と思いました。

おなじ掘るのでも、

むこうは超ハイテクな遠隔操作、こちらはスコップ一本です。

むこうはドライな「石」と「砂」、こっちはべちゃっとした「土」です。

選考委員会は、断固として「土」の方を評価することにいたしました。

 

藤井さんは、いつか100億人を、ちゃんと食わせられるだけの、

養えるだけの余力のある「土」を探し求めて、北極から赤道まで、地球半分を旅された。

走破された距離が10万キロ。行く先々でとにかく土を掘りまくり、化学分析をし、現地の農家に突撃取材をし、

本当に果てしなく根気のいる調査をされました。

でも、御本を読んでいると、以外とウキウキされているんですね。

小さい頃は、箱いっぱいにミミズを入れてうっとりしていたとかも書いてらして、

要は、「土ヲタク」なのかな、とちょっと呆れもしました。

でもそういう研究ですから、すぐにはスマートな業績にはつながらない。

ということは、資金調達や就職に苦労する。アカデミズムの階段をスッとは登っていけない。

そこには同情しました。

選考委員が全員が意見をひとつにしたのは、

土をめぐるこれからの問題、複合的な政治経済、

スカッとした答えはでてこないのですが、ただ、

この本には、人類の将来を考える、さまざま問題の種(シーズ)が、いっぱい詰まっているということなんです。

山極さんは、生物学や、環境学の問題にも、この研究のデータがすごく寄与するだろう、

南北問題とか水資源、農業生産物、コンクリートやガラスといった建築資材などをめぐる経済競争など、

そういうものがあって、それを考えるために非常に不可欠な、ベーシックな、

基礎資料であり、基礎調査であり、基礎研究であるのだ、

ということに、選考委員全員が確信を持ちました。

 

この本、地味なんですけど、やたら、ダジャレが貼りこまれているんです。

ちょっと顔がひきつるようなダジャレもありまして、

せっかく河合隼雄学芸賞を、河合隼雄さんの名前を冠した賞をおとりになったのですから、

これからは、もっと精進と研鑚を重ねて、

土壌学者ですから、二匹目の「どじょう」を狙って頂きたいです。

(鷲田選考委員の選評全文はこちらから)

 

 

                ◇  ◇  ◇

 

続いて、藤井一至さんのスピーチです。

手堅く、選考委員の先生方へ謝辞を述べられたあと、

賞というのは、たくさん応募したことはあるものの、当たったことはほとんどなく、

いつもツルツルすべっています。

日ごろは、研究者たるもの、自分の研究は自分で評価しなければいけない、

人様にほめてもらうようではいけない、と自分にいい聞かせているのですが、

いざ、褒めて頂けると、すごくうれしかったです。ありがとうございます。

 

 

大学に学問を求めてはだめで、自分の半径2メートルくらいに、

自分で学問をつくる気持ちが大事なんだということを、教わる機会がありました。

それから、僕は自分の好きな事を、本当に自分が大切だな、と思うことを研究しようと。

そういうことに対して、ぼくが何かを成し遂げた、というよりかは、

がんばれよ、と言ってもらえたのがこの賞かな、と謙虚に考えております。

 

(藤井一至さんのスピーチの全文はこちらから)

 

ラケットをスコップに持ちかえてのお話し、ありがとうございました。

 

                     ◇  ◇  ◇

 

授賞パーティの乾杯のご挨拶は、梅原賢一郎さんにお願いしました。

故梅原猛さんのご子息で、代表理事のご友人でもあります。

河合隼雄先生の研究会に参加し、その後の懇親会での一場面で、

「君の車は何人乗りや?」と聞かれたことがあり、

その頃は国産のセダンに乗っていたので、

「5人乗りです。」と答えたら、河合隼雄先生は、

「僕の車は何人でも乗れるで。口車や!」

と、ダジャレつながりのお話しをご披露頂きました。

今の時代で自由な学風はすごく大事なことだと思います。

河合隼雄財団も貴重な存在だと思います。これからも益々の発展をお祈りしております。

 

と、乾杯のご挨拶を頂きました。ありがとうございました。

 

毎年恒例になっているミニ・コンサートは、

京都にご縁がある、田村麻子さん(ソプラノ)・岡部佐恵子さん(ピアノ)に出演頂きました。

演目は、

カッチーニ作曲 「アヴェ・マリア」

本居長世作曲 「七つの子」

プッチーニ作曲 「私が街を歩くと」(オペラ「ラ・ボエーム」より)

でした。曲や隼雄先生にまつわるお話を交えながらの演奏で、

「七つの子」は、歌詞に「かわい」と、河合先生のお名前が出てくるので、

とユーモアのあるご説明に、会場が和みました。

「私が街を歩くと」では、

昔の別れた恋人に対して、自分と別れたことを後悔するように歌われる歌だということで、

鷲田選考委員や、山極選考員を翻弄しながら、会場内を歌い巡っていただく様子に、

どよめきと笑いが絶えない素敵な演奏会となりました。

誠にありがとうございました。

 

 

今年は、河合隼雄先生13回忌記念の年にあたり、今後もいろいろなイベントが行われる予定ですが、

今回初めて、KBS京都放送のテレビ取材があり、京都新聞ニュースで授賞式の様子が放送されました。

河合隼雄先生に、物語賞・学芸賞の益々の発展につながる応援を頂いているようです。

 

三浦さん、藤井さん、本当におめでとうございました!